
今日、八坂神社の桜の撮影は、(パナ)ライカ ズミルクス25mmとノクチクロン42.5mmの2本のレンズだけで臨んだ。数あるパナライカのレンズの中でもとくにライカらしい描写で定評のある2本だが、改めてこの2本のレンズの素晴らしさを実感した。
ボケ量こそ少々物足りないケースはあるものの、これは意外に撮り方などでカバーできる。それよりも、画面全体で破綻がなく、高解像度できわめて優等生な写りながら、それだけに止まらない表現力がある。それは空気感だったり、臨場感だったり、艶や色気だったりと撮影シーンで異なるのだが、(パナ)ライカではならない必然性があるように感じるのだ。
すると、富士フイルムやツァイスなどが気になって熱くなっていたものを、十分に冷ましてくれるように思う。これらのレンズを使いこなせれば、ほかに目を向ける必要はないのかもしれないのだ。
というわけで、ほかのマウントに目を向けるのは論外。そしてマイクロフォーサーズでも所有していないレンズに目を向けるより、まずはパナライカを使いこなすことをちゃんとやらなければいけないと思っている。マイクロフォーサーズに移行し、パナライカのレンズに行き着いたのには必然性があるのだ。