再び樂美術館の話題。樂美術館では、年に数回、手にふれる樂茶碗鑑賞会と特別鑑賞茶会を行っている。このときだけは、樂歴代の作品を手に取ることが出来、特別鑑賞茶会に至っては300年余り昔の古い樂茶碗で、茶を楽しむことが出来るのだ。
茶碗はもともと茶を飲むための道具であり、手に取ってこそ価値がわかるものでもある。とくに樂焼は手びねりだから、尚更だ。細かなディテールや風合いは、手に取ってこそよくわかるものだし、陶工の手の動きまで感じ取れるはずである。とは言え、芸術作品でもある樂茶碗を手に取ることが出来るというのは、よく考えると凄いことだ。そう言う意味では、当たり前のようで画期的なこととも言える。
樂茶碗は重厚な姿に反して、手に取ると思いのほか軽いという。茶碗の存在感や主張を消す意味もある。しかし、もちろんそれだけでなく、そこには千利休の思想と哲学も詰まっている。そう考えるだけで、ドキドキせずにはいられない。
2012年04月06日
2012年04月05日
2012年03月19日
Jens H.Quistgaard
ある小石原焼に惹かれて
2011年10月23日
iittala Ego

器で飲み物の味も変わる。当然、コーヒーもその例に漏れない。我が家では、一種類のコーヒーだけを飲んでいるわけではないので、違うタイプのカップ&ソーサーが欲しいと思うようになってきた。今、愛用しているロイヤルコペンハーゲンのハイハンドルのカップはとても飲みやすいが、スタックできない不便さもある。それに深煎の手音のブレンドにはベストマッチではない気がしていた。
で、最近あるお店で出会って、意外に良かったのがイッタラのエゴ。飲みやすいし深煎のコーヒーにも思ったよりもずっと合う。200mlで4,000円くらいだから、安くはないが決して高くはない。今度、手掛ける予定の仕事がうまくいったら、自分へのプレゼントに買ってしまおうかな?
2011年08月26日
2011年05月20日
備前焼でお茶を楽しむ

おいしい水をいただいたので、今日は久しぶりにお茶を飲みたい気分。せっかくなので、お気に入りの備前焼の急須と湯のみでお茶を楽しむことにした。お茶はいつもだったら八女茶なのだが、今日は宮崎五ヶ瀬町の釜入茶。適度な軽さが心地良い。これからの季節はとくに良さそうだ。
焼き物大好きの僕が,最初にハマったのが備前焼だ。土の素朴さと力強さが魅力だが,使い込めば使い込むほどその魅力が増していく。我が家の備前も、最初のザリッとした鋭さが丸みを帯び始め,独特のやわらかさと滑らかさが出てき始めた。僕に合わせて変化している気がする。だからこそ、これで飲むお茶はたまらなくイイのだ。
ただ、ひとつだけ欠点がある。それは器の色故に,お茶の色を楽しむことができないところだ。それを考えると,ついつい萩焼や唐津焼、有田焼あたりが欲しくなる。先日の萩でも、欲しくなるから萩焼はあえて避けていたのだが……。来月あたり、再度萩へ行ってみようかな(一楽二萩三唐津と言うしね)。
2011年05月14日
ルーシー・リー展


TVや本で見ただけでなく、実際に目にしないと本当の意味で「好き」とは言えないのではないか?そんな思いが年々強くなっている。それだけメディアを通じて見たときと、実際に自分の目で見たときの印象が違うのだ。それが立体であればなおさらだ。そう言う意味でも、今回はどうしても自分の目で確かめたかった。向かったのは萩美術館のルーシー・リー展だ。
ルーシー・リー。僕が大好きな陶芸家のひとりだ。僕は基本的には器は和ものが好きなのだが、彼女は別だ。上品で美しいフォルム。見れば見るほど吸い込まれそうになるような美しい色合い。本やTVでさんざん見てきたものだ。しかし、実物は想像を超える素晴らしさだ。そして、彼女の作り出す器からは、彼女の人柄までがにじみ出している気がしたのだ。遠目で見ると、凛とした姿でそこにあるのに、近寄ると美しい中にかわいらしさや親しみを感じてしまう。洗練されているのに、どこか人なつっこさがある感じだ。数々の作品を見ながら、それと同時に彼女との会話を楽しんでいるような錯覚がした。それは今までなかった新しい体験だった。
萩美術館を出た時、僕はルーシー・リーとの「会話」にすごく満足していた。彼女は繊細でやさしく、ユーモアに溢れ、おしゃれな人だ。そして、人なつっこくてかわいらしい女性だった。
結局、アートって、人も含めて作品なのだ。それを改めて感じた一日だった。
2011年04月14日
ルーシー・リー展
待ちに待ったルーシー・リー展がいよいよ今月29日から開催。去年、東京で開催されたものが、巡回で萩美術館で開催されるのだ。
陶芸は基本的には日本のものが好きなのだが、ルーシー・リーは例外。彼女の作り出す器には、ほかにはない宇宙を感じる。色彩やフォルムも美しいが、それだけではないのだ。TVや本で見ているだけでも、別世界にトリップするような不思議な感覚になったが、実際に対峙したらどう感じるんだろうか?今から楽しみで仕方がない。
陶芸は基本的には日本のものが好きなのだが、ルーシー・リーは例外。彼女の作り出す器には、ほかにはない宇宙を感じる。色彩やフォルムも美しいが、それだけではないのだ。TVや本で見ているだけでも、別世界にトリップするような不思議な感覚になったが、実際に対峙したらどう感じるんだろうか?今から楽しみで仕方がない。
2010年10月06日
小鹿田焼の魅力



なぜ、僕はこんなに小鹿田焼に惹かれるのだろう?北部九州は焼き物の激戦区だ。有田、唐津、伊万里はもちろん、有名無名をあわせるとどれだけの窯元があるのか見当もつかない。有田や唐津は当然、僕も大好きなのだが、ここ数年は小鹿田焼の魅力に取り憑かれてしまっているのだ。
惹かれている理由の一つは、皿山地区の魅力だろう。谷川の水を利用した唐臼がたてる「ギー、ゴットン」という音だったり、決して広くないこの地区に集まる独特の空気感だったり。ここに来るといつも感じる別世界を彷徨うような不思議な感覚が、僕の五感を大いに刺激するのだ。
そして器の魅力。僕は皿や茶碗、コーヒーカップなどを普段から愛用しているが、盛りつける食べ物の邪魔をしないのに、器自体はしっかりとした存在感がある。生活の中にたった一枚の小鹿田焼の皿があるだけで、豊かさが増す感じがするのだ。日本の焼き物には和洋関係なく、料理を引き立てるような懐の深さを感じるのだが、もちろん、小鹿田焼もその例に漏れない。そして、様々な空間の中で際立った存在感を見せてくれる。もちろん、その存在感がその空間のバランスや空気感を崩すことはない。おそらく、すごくモダンな空間やアヴァンギャルドな空間でも、その存在は光るに違いない。
焼き物は日用品として使ってこそ価値があると思っている。しかし、手が出ないような高額なものも多く、そういったものはさすがに日用品として使うのはためらわれる。焼き物は日用品と芸術品という2つの側面があるので、難しいところだ。ただ、僕自身は見て楽しむだけでなく、使って楽しみたいと思う。それも芸術品としての側面を踏まえた上で。そんな楽しみ方をとことんできるのが小鹿田焼なのかもしれない。
