


なぜ、僕はこんなに小鹿田焼に惹かれるのだろう?北部九州は焼き物の激戦区だ。有田、唐津、伊万里はもちろん、有名無名をあわせるとどれだけの窯元があるのか見当もつかない。有田や唐津は当然、僕も大好きなのだが、ここ数年は小鹿田焼の魅力に取り憑かれてしまっているのだ。
惹かれている理由の一つは、皿山地区の魅力だろう。谷川の水を利用した唐臼がたてる「ギー、ゴットン」という音だったり、決して広くないこの地区に集まる独特の空気感だったり。ここに来るといつも感じる別世界を彷徨うような不思議な感覚が、僕の五感を大いに刺激するのだ。
そして器の魅力。僕は皿や茶碗、コーヒーカップなどを普段から愛用しているが、盛りつける食べ物の邪魔をしないのに、器自体はしっかりとした存在感がある。生活の中にたった一枚の小鹿田焼の皿があるだけで、豊かさが増す感じがするのだ。日本の焼き物には和洋関係なく、料理を引き立てるような懐の深さを感じるのだが、もちろん、小鹿田焼もその例に漏れない。そして、様々な空間の中で際立った存在感を見せてくれる。もちろん、その存在感がその空間のバランスや空気感を崩すことはない。おそらく、すごくモダンな空間やアヴァンギャルドな空間でも、その存在は光るに違いない。
焼き物は日用品として使ってこそ価値があると思っている。しかし、手が出ないような高額なものも多く、そういったものはさすがに日用品として使うのはためらわれる。焼き物は日用品と芸術品という2つの側面があるので、難しいところだ。ただ、僕自身は見て楽しむだけでなく、使って楽しみたいと思う。それも芸術品としての側面を踏まえた上で。そんな楽しみ方をとことんできるのが小鹿田焼なのかもしれない。