南方熊楠は自らをリテレート(文士)であると言っていた。リテレート(literate)は本来、学問のある人という意味だが、熊楠は飯が食えるかを気にせずに"学に遊ぶ"人と捉えていたようだ。
これは凄いことを意味している。飯を食うためにやる学問は、本来あるべき姿から離れる危険性がある。しかし、実際は生活があるので飯を食うために学問をやる。すると、飯のために本質から離れることも受け入れざるを得なくなる場合がでてくる。そうやって、学問が本質から離れていってしまう。
このことは音楽や美術などの芸術や文学など、多くの分野で言えることではないだろうか。芸術も文学も、飯を食うためではなく、己自身を追求していくべきだ。
ただ、ほとんどの場合、それは実現できていない。それを実行した熊楠は凄い。現実的に熊楠をなぞるのは難しいので、僕はデザインの純度を上げることと、飯を食うことの両立を目指しているのだが…。