夏の終わりのバルセロナ出張はとてもタイトだったが、収穫が多い出張だった。
建築やアートをはじめとする素晴らしい文化は、作る側・表現する側の人間にとって、一度は見るべきものだ。そして、それがそれだけに留まらず、街全体としてもまとまった素晴らしさを見せているのが印象的だった。
文化的な街づくりは、とても重要なものである。歴史ある建築から現代のモダンな建築までが、街の調和を乱さずに存在する。発達した地下鉄やシェアバイクは、クルマに依存しすぎない社会を作り出す。まだまだ発展している途中なのだろうが、日本が見習うべき部分が多々あると思った。
そして、一番印象的だったのは人だ。夏ということもあって、露出も多く、色彩も派手な服を着ている人が多いのだが、それに負けないくらい人が印象的なのだ。どんな格好の人でも、その服装でなくまず最初に人に目がいく。○○風ではなく、自分が確立しているように見えるのだ。彼らは前を向き、胸を張って大股で歩いている。もちろん、全ての人がそうではないが、そんな人が多く目につくのだ。そして彼らは携帯やスマホを扱いながら歩いたりはしない。日本の異常さを改めて実感した。
バルセロナは「グラシアス=ありがとう」が多い街でもある。基本的にみんな親切だし、地下鉄、買い物の最中、ホテル、美術館など、いろいろな場面で「グラシアス」が自然に出てくる。日本もそうありたいなぁ。
2013年09月13日
グエル別邸
ペドラルベス公園
ガウディの街灯
カサ・バトリョ 外観
バルセロナ最終日は日曜日。大半のお店は閉まっているので、比較的のんびりとしたスタート。まずは、昼間の外観を撮りそこねたカサ・バトリョへ。









もう、説明はいるまい。この曲線で構成された見事な造形は、人の目を惹き付けて離さない。邸宅としては、最も魅力溢れる建造物の一つだと言える。実は、個人的に実際に目の当たりにして、最も好きになったガウディ建築がカサ・バトリョなのだ。
建築の枠を遥かに超えたものであるのは間違いないが、ではそれが何かと聞かれると、答えに苦しむ。アートだと言えば、それは間違いではない。しかし、もっと深くて広く、根本的な(あるいは本質的な)ものなのだろうと思う。いま、それをうまく言い表す言葉が見つからないのが、とてももどかしくて仕方がない。









もう、説明はいるまい。この曲線で構成された見事な造形は、人の目を惹き付けて離さない。邸宅としては、最も魅力溢れる建造物の一つだと言える。実は、個人的に実際に目の当たりにして、最も好きになったガウディ建築がカサ・バトリョなのだ。
建築の枠を遥かに超えたものであるのは間違いないが、ではそれが何かと聞かれると、答えに苦しむ。アートだと言えば、それは間違いではない。しかし、もっと深くて広く、根本的な(あるいは本質的な)ものなのだろうと思う。いま、それをうまく言い表す言葉が見つからないのが、とてももどかしくて仕方がない。
2013年09月12日
バルセロナの地下鉄
バルセロナでの移動は、ほとんど地下鉄を利用した。バルセロナの主要地はほぼ、地下鉄の移動でカバーできる。路線図を見ると、福岡市レベルの地下鉄しか日常的に体験してない身にとっては、最初はとても難解にみえる。しかし、一旦把握し出すと、かなり便利だ。
ちなみに今回は、4日分のバルセロナカード(公共交通機関乗り放題&エンターテイメント・施設の無料・割引サービスが受けられるシティカード。滞在日数に合わせて、2日間から5日間用とカードの種類が選べる)を購入し、利用した。

滞在したホテルの最寄りのパラレル駅のホーム

時刻表はないが、あと何分で到着するという電光掲示板がある。意外に正確。

電車の中は広告は一切無し。棚もつり革もない。個人的にはこちらの方が落ち着く。


時間帯によっては、自転車も大丈夫。でも、自転車を持ち込むケースはあまりなさそうだけど。
海外の地下鉄のイメージは、決して良くない。危険だと思っている人は多い。そのせいか、あちこちで日本人観光客に遭遇するバルセロナで、地下鉄だけは日本人に出会う頻度が劇的に少なくなる(というか、ほとんど会わなかった)。だが、実際は決して危険ではないし、汚くも暗くもないし、使い勝手も良い。おそらく、次に訪れるときも、地下鉄は多用するだろう。
ちなみに今回は、4日分のバルセロナカード(公共交通機関乗り放題&エンターテイメント・施設の無料・割引サービスが受けられるシティカード。滞在日数に合わせて、2日間から5日間用とカードの種類が選べる)を購入し、利用した。

滞在したホテルの最寄りのパラレル駅のホーム

時刻表はないが、あと何分で到着するという電光掲示板がある。意外に正確。

電車の中は広告は一切無し。棚もつり革もない。個人的にはこちらの方が落ち着く。


時間帯によっては、自転車も大丈夫。でも、自転車を持ち込むケースはあまりなさそうだけど。
海外の地下鉄のイメージは、決して良くない。危険だと思っている人は多い。そのせいか、あちこちで日本人観光客に遭遇するバルセロナで、地下鉄だけは日本人に出会う頻度が劇的に少なくなる(というか、ほとんど会わなかった)。だが、実際は決して危険ではないし、汚くも暗くもないし、使い勝手も良い。おそらく、次に訪れるときも、地下鉄は多用するだろう。
ポルトベル
ミロのタイル画
2013年09月11日
カタルーニャ音楽堂
夜になっても、まだまだバルセロナ散策は続く。これは裏を返すと、バルセロナの治安の良さを示す。たまたまだったのかもしれないが、大きな通りを行く限りは危険な感じはないように思った。
で、次に向かったのはカタルーニャ音楽堂。今から中に入るのは無理だが、とりあえず、建物の外観だけでも見てみたい!




行ったときは、フラメンコのショーのクライマックス(多分)だった。手拍子とダイナミックな足踏み、そして歌声とフラメンコーギターが、大歓声とともに聴こえてくる。この趣のある建物に、それがよく似合う!観客の人たちと一緒にフラメンコを楽しんでいる気分になっていた。
100年以上前に建てられた、アールヌーボー様式の建物であるカタルーニャ音楽堂は世界遺産にも登録されている、歴史あるコンサートホールだ。夜なので細かな部分まではよくわからなかったが、それでもその格調高さと威厳を感じさせる佇まいは十分に見て取れた。でも、その醍醐味は中に入ってこそなのだろうな。
次の機会があるなら、ぜひコンサートの観客として訪れたいな。
で、次に向かったのはカタルーニャ音楽堂。今から中に入るのは無理だが、とりあえず、建物の外観だけでも見てみたい!




行ったときは、フラメンコのショーのクライマックス(多分)だった。手拍子とダイナミックな足踏み、そして歌声とフラメンコーギターが、大歓声とともに聴こえてくる。この趣のある建物に、それがよく似合う!観客の人たちと一緒にフラメンコを楽しんでいる気分になっていた。
100年以上前に建てられた、アールヌーボー様式の建物であるカタルーニャ音楽堂は世界遺産にも登録されている、歴史あるコンサートホールだ。夜なので細かな部分まではよくわからなかったが、それでもその格調高さと威厳を感じさせる佇まいは十分に見て取れた。でも、その醍醐味は中に入ってこそなのだろうな。
次の機会があるなら、ぜひコンサートの観客として訪れたいな。
クアトロ・ガッツ
2013年09月10日
ミロの壁画
サンタ・エウラリア大聖堂
ピカソ美術館
モンセラットのあとは、再びバルセロナ市街。訪れたのは、今回、ガウディ建築と並んで最も楽しみにしていたピカソ美術館だ。

ピカソ美術館は街中の狭い路地の中にある。


ゲルニカ以前の作品が初期の頃からズラッと並ぶ。そのボリュームは圧巻だ。時代別に展示されている作品は、とても流れが分かりやすく興味深い。天才的に上手いデッサンから破天荒にも思える変化を遂げていくのだが、メチャメチャなようで全体の構成やバランスはむしろ研ぎすまされていく。これは驚異的としか言いようがない。やはりピカソは天才であることを、まざまざと思い知らされた。
ピカソ美術館の凄さは展示されているピカソの作品だけではない。館内の誘導サインやタイポグラフィのレベルの高さは目を見張るものがある。これはミロ美術館にも言えることだが、ピカソ美術館はさらにその上をいく。余計なことをせず、作品を際立たせ、分かりやすく、洗練されていて、カッコいい。おそらく100年経ってもそのカッコ良さはかわらないだろう。僕の目指すデザインのレベルが、ここには普通に当たり前に存在している。なんて素晴らしいのだろう。
今回はタイトなスケジュールだったので、時間を十分に割くことができなかった。もう一度、時間をたっぷりとって、じっくりと観て回りたい。

ピカソ美術館は街中の狭い路地の中にある。


ゲルニカ以前の作品が初期の頃からズラッと並ぶ。そのボリュームは圧巻だ。時代別に展示されている作品は、とても流れが分かりやすく興味深い。天才的に上手いデッサンから破天荒にも思える変化を遂げていくのだが、メチャメチャなようで全体の構成やバランスはむしろ研ぎすまされていく。これは驚異的としか言いようがない。やはりピカソは天才であることを、まざまざと思い知らされた。
ピカソ美術館の凄さは展示されているピカソの作品だけではない。館内の誘導サインやタイポグラフィのレベルの高さは目を見張るものがある。これはミロ美術館にも言えることだが、ピカソ美術館はさらにその上をいく。余計なことをせず、作品を際立たせ、分かりやすく、洗練されていて、カッコいい。おそらく100年経ってもそのカッコ良さはかわらないだろう。僕の目指すデザインのレベルが、ここには普通に当たり前に存在している。なんて素晴らしいのだろう。
今回はタイトなスケジュールだったので、時間を十分に割くことができなかった。もう一度、時間をたっぷりとって、じっくりと観て回りたい。
サン・ジュアン



モンセラットの締めくくりはサン・ジュアン。フニクラで今度は上に上っていく。
こちらも絶景がパノラマのように広がる。ここも手すりらしい手すりはとくになし。そんな高所恐怖症には酷な崖沿いの道を、ひたすら歩いていくのだ。








サン・ジョアンの絶景は、スケールが大きく、美しく、感動的だった。こんな断崖絶壁の道に手すりがないのは、この素晴らしい景観を損なうことにもなるし、ほかにも大きな意味があるのだろう。スペインの人たちは、このカタルーニャの聖地をとても大事にしているのだ。
聖なる地、モンセラットは、素晴らしい眺めと絶景はもちろん、ある種の心地よい緊張感と不思議なやすらぎがあった。ミロやガウディなどの芸術家たちが、ここでインスピレーションが湧いたといわれるが、なるほどそれはとても納得がいく。でも、本当は全ての人たちにモンセラットのような存在の場所がある気がする。
サンタ・コバ



美術館のあとは、モンセラットの見所の一つ、サンタ・コバへ。ここへはフニクラ(ケーブルカー)に乗って下り、そこからはひたすら崖沿いを歩いて行く。









これはガウディ作のモニュメント。


断崖絶壁のところをひたすら歩くのだが、基本的にはそこには柵もなく、高所恐怖症の人にはかなり厳しいところである。見渡す限りが絶景で、それだけでも価値があるのだが、高所恐怖症と僕としては、かなり大変ではあった。
聖書にまつわるモニュメントがところどころに建っており、それ自体はかなりしっかり作られたものではあるが(ガウディをはじめ、様々な芸術家が作ったものらしい)、個人的には必ずしもなくていいのかな〜と言う気はした。ただ、より多くの人に分かりやすく伝えるためには、必要とされたんだろうな。






終点の教会は、比較的こじんまりとしたものだった。個人的には、途中の絶景が凄すぎて、教会の印象は薄かった。これがキリスト教圏の人だったら、また感じ方は変わるんだろうな。
2013年09月09日
モンセラット美術館

モンセラットの見所の一つが美術館だ。一般的にはあまり知られてない画家の作品が多いが、ダリやピカソの作品も少ないながら展示されており、興味深いものになっている。カタルーニャの聖地なだけに、宗教画は数多く展示されているが、このあたりは自分の宗教に対する無知具合のせいで楽しむまでに至らなかった。やはり美術を楽しむには最低限の教養は必要なのだ。
とは言え、展示の内容もむかしの宗教画から現代美術まで幅広く、その数も多い。作品名の表示が少し分かりにくく(使っている書体や色が視認性に難がある)、展示のわかりやすさや洗練度はミロ美術館に劣るが、それでも訪れる価値のある美術館だと思う。次に訪れるなら、もう少しキリスト教とモンセラットについて勉強しておくべきだな。
2013年09月08日
黒いマリア像
